2013年9月28日土曜日

こんな映画は見ちゃいけない!(9/28)

本日、とりあげる作品は
「TRASHED ゴミ地球の代償」です。

放置する、埋め立てる、焼却する。大量消費・使い捨ての時代、人間の日常生活から排出されるゴミは膨大な量となり、もはや適切に処理できなくなってきている。そこで問題視されるのはペットボトルやレジ袋といった自然分解されないプラスティック製のゴミ。それらはいつしか海に流出し、微生物が体内に取り込み、さらに食物連鎖を経て上位捕食動物に蓄積されていく。映画はジェレミー・アイアンズをガイドに世界のゴミ事情をレポートする。衝撃的な映像の数々は、ライフスタイルを改めなければ近い将来地球にぬぐい難い禍根を残すと警鐘を鳴らす。
環境に関心が深いジェレミー・アイアンズは、レバノンの古都・サイドン近郊でトラック満載の未処理のゴミが捨てられていく光景を見て驚く。英国では住宅地のすぐそばに大きな穴を掘りゴミを埋めている。
19世紀末以降、ゴミが急速に有毒化したのがいちばんの懸念材料とジェレミーは訴える。特に焼却したときに発生するダイオキシンが人体にもたらす影響は深刻。ベトナム戦争時にダイオキシン汚染された奇形児や胎児の標本は思わず目を背けたくなる。圧倒的にゴミを焼却場で処分するケースが多い日本においては他人事とは思えない恐怖だ。
当然ではあるが、最善の解決策はゴミを出さないこと。オーガニックを売りにする食料品・雑貨店では客にエコバッグを持参させ、無駄な包装は避けている。それが普通の市民にできるエコロジー活動なのだ。
お勧め度=★★★(★★★★★が最高)「TRASHED ゴミ地球の代償」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130913を参考にしてください。
本日はもう1本
「椿姫ができるまで」です。

抒情的でリリカルな前奏曲でのパフォーマンスから大胆な意見を交わす演出家とプリマドンナ。激しい応酬にもかかわらず、お互いの考え方を理解しようとする2人はどこかこの議論を楽しんでいるよう。あまりにも有名で世界的に愛されているオペラ、その解釈は冒険しすぎると前衛的とそっぽを向かれ、チャレンジが少ないと凡庸と評される。そういったプレッシャーの中で新たなヒロイン像を構築していく2人。映画はエクサン・プロヴァンス音楽祭で上演された「椿姫」の制作に密着する。スタジオでの顔合わせからステージでのリハーサルまで、「椿姫」の物語の進行とともにオペラも完成に近づいていく斬新な構成のおかげで、メイキングと音楽の両方を味わえる。
稽古場に集められたか「椿姫」の主要キャストたち。ヴィオレッタ役のナタリーに演出家のシヴァディエが感情を解き放てと指示を出す。ピアノ伴奏でヴィオレッタになりきるナタリーは試行錯誤する。
第1幕、舞踏会が始まると、快楽が人生と信じるヴィオレッタの思いを体で示すナタリー。様々なキメポーズを披露する場面に彼女の繊細さが反映される。ヴィオレッタがアルフレードと出会い、快楽より大切なものに気づくシーンは、まさしく己の生きるべき道を発見する瞬間。
"不思議"という言葉について延々レクチャーするシヴァディエの狙い通り、ナタリーは愛こそが人生の真実と目覚めるヴィオレッタを歓喜に満ちた歌と演技で表現することに成功する。
お勧め度=★★(★★★★★が最高)「椿姫ができるまで」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130821を参考にしてください。

2013年9月26日木曜日

こんな映画は見ちゃいけない!(9/26)

本日、とりあげる作品は
「そして父になる」です。

いわゆる"勝ち組"ライフを謳歌し、努力を惜しまないエリートビジネスマン。彼はひとり息子に過大な期待をかけているが、闘争心の乏しさに物足りなさを覚えている。そして息子が生物学上の子でないと知った時、"やっぱり"と口にしてしまう。息子を愛していないわけではない、でもどこかで引っかかっていた違和感、その原因がはっきりし、男はますます傲慢になっていく。物語は気付かずに他人の子を育てていた2組の夫婦が真実に直面し、戸惑い苦悩していく過程で、人生で一番大切なことを学んでいく姿を描く。それぞれの立場で現実を受け入れるしかない、彼らのリアルな感情が胸を締め付ける。
高級マンションに住む野々宮の元に、6歳の息子・慶多は取り違えられた他人の子だったと連絡が入る。本当の息子・琉晴は斎木という電気店夫婦に育てられていたが、子供たちを元の親に戻すと同意する。
相手の家に試験的にお泊りする子供たち。貧乏でも子簿脳な斎木の家で、おとなしかった慶多は重荷をおろしたように生き生きし始める。一方の琉晴は無機質なマンション暮らしに馴染めない。上から目線の野々宮と同じ高さに視線をあわせる斎木、格差の対極でも、子供にとってどちらが心を開きやすいかは一目瞭然。
頭でっかちの野々宮はなぜそうなるのか理解できず、カネで解決しようとさえする。2人の父親の人物像は極端に類型的だが、彼らの思考回路はわかりやすく整理されていた。
お勧め度=★★★★(★★★★★が最高)「そして父になる」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130805を参考にしてください。
本日はもう1本
「凶悪」です。

拡大コピーした住宅地図から目星をつけた家をしらみつぶしに当たる。やっと見つけたキーパーソンは口が重く有効な手がかりはなかなかつかめない。それでも聞き込みを続け、かかわった人々の人物像を浮き彫りにする過程で、重大な犯罪の確信を深めていく。死刑囚の話は信じられるのか、小出しにされた情報に振り回されながらも男はのめり込んでいく。まさに調査報道の王道を行く展開、ところが真実に近づくにつれ明らかになるのはおぞましいほどの人間のエゴばかりだ。ピエール瀧とリリー・フランキーが演じる犯罪者が、救いのない物語にすさまじいまでのリアリティを吹き込んでいる。
雑誌記者の藤井は、死刑囚の須藤から、警察も知らない殺人事件の告発を受け、独自に取材を進める。須藤の曖昧な告発書を元に被害者の足跡をたどるうちに、木村という男の過去が明らかになっていく。
普段は温厚な顔で家族や舎弟を大切にしている木村と須藤。だが、借金で首が回らない男を殺し焼却炉で燃やし、生き埋めにし、さらに家族から見捨てられた老人に保険金をかけて引き取り、いたぶった挙句命を奪う。その切り替えが劇的に起きるのではなく、あくまで日常の延長として殺人と死体処理が行われる。
そこには悪事を働いている自覚などない。身寄りのない土地持ち老人を"油田"に例える木村の厚顔に、善悪を超越した人間の恐ろしさが凝縮されていた。
お勧め度=★★★(★★★★★が最高)「凶悪」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130925を参考にしてください。
本日はもう1本
「ビザンチウム」です。

永遠の若さの代償は果てしない孤独。その秘密ゆえに人間とは心を通わせられず、同類からは追われている少女は、ノートに心情を綴っては破り捨てている。彼女が好意を寄せる少年は、難病で余命いくばくもない。映画は人目を避けて放浪するバンパイア母娘の関係が、新しい町での娘の恋によって壊れていく過程を描く。母みたいに強くはなれない、でも己の人生を選びたい、そんなヒロインの感情が切なく、時が止まったままの彼女の苦悩が浮き彫りにされる。望んでも死が許されない彼女たちの哀しみは、忘れ、忘れられることでしか癒されないのだ。
200年以上の時間を過ごしてきたバンパイアのクララとエレノアは、海岸の小さな町に流れつく。ある日、エレノアは白血病の少年・フランクと出会い、彼に自分の生い立ちを顧みた物語を読ませる。
普段は死を間近にした老人の血しか吸わないエレノアが、傷口から流れ出たフランクの血がしみ込んだハンカチをむさぼるようにすするシーンに、渇きに耐えきれない彼女の本性が見え隠れする。一方でクララは殺されて当然のポン引きか、正体を知った人間しか襲わない。
かつて昼間は暗がりで息をひそめ、人間の敵として忌み嫌われていた怪物然としたバンパイアの面影はもはや彼女たちにはなく、死ねない苦痛にさいなまれつつも生き続けなければならない姿は、まるで自らを罰しているかのようだ。
お勧め度=★★★(★★★★★が最高)「ビザンチウム」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130924を参考にしてください。
本日はもう1本
「エリジウム」です。

劣悪な住宅に押し込まれた労働者は工場での危険な作業を余儀なくされ、大けがを負ってもほとんど補償されない。19世紀の工業国を思わせる格差社会、搾取される側は最低限の権利さえ与えられず貧困にあえいでいる。他方、人工衛星上の楽園に暮らす富裕層は先進の医療を施され、健康で快活な生活を享受している。人口増によって荒廃した近未来の地球、物語はスラム化したLAから脱出しようとする男の冒険を通じて、人が人として生きる意味を問う。高圧的なロボットの警官や役人に卑屈な態度をとる主人公が、権力に対して怒りより恐れを感じている、そんな希望なき"負け組"に生まれた彼の諦観が哀しい。
余命5日を宣告されたマックスは、エリジウム行きのシャトルに乗るために、工場の経営者を襲ってデータを奪う。エリジウムのNo2・デラコート長官は工作員のクルーガーにマックスを確保するよう命じる。
経営者はマックスら労働者にバイ菌を見るような目で接し、デラコートも不法侵入者のシャトルを容赦なく撃墜するなど、地球人の命など顧みない冷酷な特権意識を持っている。選民思想が支配層の常識になり、科学技術は進んでも人間の理性は後退しているあたり、行き過ぎた自由主義経済の暗い未来を予言しているようだ。
エリジウムに着陸したマックスの大活躍以外にもデラコートのクーデター計画や、秘密を知ったクルーガーの反乱などを盛り込んだために、いたずらに話が入り組んでアクションの切れ味を殺がれていた。
お勧め度=★★(★★★★★が最高)「エリジウム」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130923を参考にしてください。

2013年9月21日土曜日

こんな映画は見ちゃいけない!(9/21)

本日、とりあげる作品は
「甘い鞭」です。

四つん這いにされ、緊縛され、脚を広げたあられもない格好を強制された上で鞭打たれる女。肉体を痛めつけられることで、彼女はもう一度あの甘美な陶酔を味わいたいと願う。レイプされる恐怖でもない、服従を強いられた自我の放棄でもない、苦痛を超越した忘我でもない、そんな忌まわしいはずの過去が彼女の胸のなかでいつしか生きる目的になっている。物語は、高校時代に凄惨な事件の被害者になった経験のある女医が、凌辱の果てにたどり着いた禁断の境地を模索する姿を描く。聖女と娼婦を使い分ける壇蜜の熟した果実のような肢体がなまめかしく悶絶する映像は、世紀末的な退廃すら感じさせる。
産科医の奈緒子は、夜はM嬢としてSMクラブで男に体を提供している。彼女は17歳の時、変質者に1カ月間拉致監禁されたときに覚えた"甘い味"を忘れられず、以来それがなんだったのか探し求めていた。
17歳の奈緒子は男に縛られベルトで打たれる。32歳の奈緒子はプレー用の鞭に尻をさらす。逃げ場がなく命の危機と紙一重で絶望と闘っていた17歳の体験はSMクラブで再現きるものではなく、今の奈緒子は不満が募るばかり。彼女の体と心に刻まれているのは、あの一瞬の愉悦。それは事件の記憶以上に彼女の人生に影響を与え続けている。
映画は、奈緒子の肉体と精神を極限にまで追い詰めた時に現れる至高の感覚をひたすら追い続け、その過程で露わになる人間の本質を赤裸々に抉り出していく。
お勧め度=★★★(★★★★★が最高)「甘い鞭」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130705を参考にしてください。
本日はもう1本
「ウォーム・ボディーズ」です。

薄れゆく記憶の中に少しだけ存在する意識は、死んだはずなのに生き続ける青年にとって苦悩の源。まだ人間の部分は残っている、でも空腹に耐えきれず人間に噛みついてしまう、かといってまったく理性を失ったガイコツにはなりたくない。そんなアイデンティティクライシスに陥ったゾンビ像が新鮮だ。物語は食料調達に出たゾンビが人間の少女に一目ぼれしたのをきっかけに起きる冒険を描く。決して恋に落ちてはいけない相手、しかしその思いは抑えきれない。映画は、他者への愛がハートに血を通わせ、生きる動機になり喜びを生むと訴える。
ゾンビとして無為に時間を過ごすRは、医薬品調達に来た人間の一団を襲ったときに、そこにいたジュリーに心を奪われる。ジュリーを匿いつつ彼女の歓心を買おうとするうちに、Rの体に変化が現れる。
人間はもちろんゾンビを警戒している。それ以上にゾンビたちも人間に"殺されない"ように集団行動を取る。ここではゾンビも"死"を恐れているという矛盾が、ユーモアを感じさせつつも、ゾンビでいる辛さを象徴する。Rにとってジュリーは無間地獄から救ってくれる希望に見えたのだろう、ジュリーの恋人の脳を食べて彼らの思い出を吸収し、その願いを確信に変えていく。
一方のジュリーも、Rが彼女を食うつもりがないと知って敵意を解く。争っているばかりでは悲劇が繰り返されるばかり、お互い理解しあえば新たな関係が構築できると、ふたりは身をもって証明しようとする。
お勧め度=★★★(★★★★★が最高)「ウォーム・ボディーズ」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130809を参考にしてください。

2013年9月19日木曜日

こんな映画は見ちゃいけない!(9/19)

本日、とりあげる作品は
「ウルヴァリン:SAMURAI」です。

三助おばさんにたわしでこすられたり、寺の坊さんがみな刺青を入れたヤクザだったり、剣道稽古や忍者軍団がやたら空中で回転したり、場末のラブホテルの奇妙なコンセプトに面食らったり……。不老不死を誇るミュータントも、古い因習・伝統と洗練された技術力が混在する不思議の国・ニッポンでのアウェイ戦はハプニングに見舞われっぱなし。来日経験がない米国人の日本へのイメージを見事に再現している。むしろ笑いを誘うほど戯画化されたシチュエーションに対するディテールへのこだわりが、映画にユーモアをもたらしている。
ウルヴァリンは日本人実業家・矢志田に東京に呼ばれが、重病の矢志田はウルヴァリンに死を与えると言い残して息絶える。ウルヴァリンは葬儀会場で誘拐された矢志田の孫娘・マリコを救い逃亡する。
永遠に生き続けるのは永遠の苦みなのか。愛した者にはいつも先立たれ、思い出はいつしか悪夢にかわって熟睡できる夜はない。そんなウルヴァリンが、初めて治癒能力を失い、傷ついていく。気を失うほどの痛みと出血が限りある命の証。無為な長生よりは目的のある死を選ぶ、その精神が人間を進化させてきたとウルヴァリンは知る。
田舎の村人と交流したウルヴァリンは、限りある命だからこそ他人と交わりを大切にし、精いっぱい生きる充実感を学んでいく。そして、自分を必要とする日本人と積極的にかかわって己の人生に意味を持たせようとする。この戦いはウルヴァリンの「自分探しの旅」なのだ。
お勧め度=★★★(★★★★★が最高)「ウルヴァリン:SAMURAI」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130917を参考にしてください。
本日はもう1本
「許されざる者」です。

馬には振り落とされる。刀は錆びている。ぶちのめされて顔を切りつけられる。何よりも死を恐れている。伝説の人斬りと呼ばれた男もすでに老い、日々の暮らしに窮するただの開拓農民。だが、作物が実らず子供たちに満足な食料を与えられないほどの貧しさに追い詰められたとき、亡き妻との約束を破って再び武器を手にする。その過程で、主人公たちが地平線まで広がる荒涼とした大地を渡り、森や小川沿いの道なき道をひたすら進む壮大なスケールの映像に圧倒される。そこに、弱き者、虐げられた者、すべてを失った者、無様でみじめで女々しいけれど人間としての誇りまで捨ててない人々の魂が慟哭となって共鳴し、巨大な感情のうねりとなってスクリーンにあふれ出す。
辺境の街で女郎が農民に顔を切られるが、警察署長の大石は穏便に事を収めようとする。復讐を誓った女郎仲間たちは犯人に懸賞をかけ、かつての戦友・金吾に誘われた元反政府派の十兵衛も街に向かう。
女郎の顔を切った男は賠償し、彼の相棒は悔いて詫びを入れる。強権的な大石は賞金稼ぎから街の秩序を守ろうとしている。女郎屋の主人も当時の価値観に照らせばまっとうに商売している。ある意味、この街に死に値する者は誰もいない。
一方で、もう人を殺めたくないと願っていた十兵衛がカネ目当てに街にやってくる。煮え切らない態度を取り続け、最後まで迷いを吹っ切れない十兵衛の表情に、"生きる"という業を背負った人間の大いなる苦悩が凝縮されていた。
お勧め度=★★(★★★★★が最高)「許されざる者」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130916を参考にしてください。

2013年9月14日土曜日

こんな映画は見ちゃいけない!(9/14)

本日、とりあげる作品は
「あの頃、君を追いかけた」です。

勉強なんてダサい、仲間とふざけ合っている時間のほうがずっと大切。1日を楽しく過ごすことしか考えていない男子高校生、そんな彼のお目付け役にクラス1の秀才美女が指名される。最初は反発しあいながらも、お互いの優しさを触れるうちに、いつしか惹かれあうふたり。授業中のイタズラ、放課後の校庭、居残りの教室。ありふれた学校の風景をノスタルジックに描くのは青春モノの王道、時に登場人物の見当はずれな言動と微妙な間が、それらの瞬間をかけがえのない思い出の一コマとして輝かせる。映画は随所にコミカルなシーンをちりばめ、観客を笑いと懐かしさに包み込んでいく。
不真面目な高校生・コートンはいつも5人の悪友とつるみ、退屈な学園生活に刺激を与えようとしている。コートンに手を焼いた担任は、クラスのマドンナ的存在・チアイーに彼の指導を押し付ける。
冷たい優等生だと思っていたチアイーが、実は悩み多い普通の女子と知ったコートンは、彼女との距離を一気に縮める。しかし、他の友人たちがチアイーに告白しては撃沈される中、コートンは友達以上の関係に踏み込もうとはしない。チアイーが好きなのに認めたくないコートン、チアイーもまたコートンが気になっているのに素直になれない。
ヘアスタイルを変えて相手にだけわかるようにアピールしているのに、どうしても自分の気持ちを言葉で伝える勇気がない。ふたりの、恋愛に不器用な純情さがもどかしく、思わず背中を押してやりたくなった。
お勧め度=★★★(★★★★★が最高)「あの頃、君を追いかけた」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130808を参考にしてください。

2013年9月12日木曜日

こんな映画は見ちゃいけない!(9/12)

本日、とりあげる作品は
「共喰い」です。

快感の極致に達すると暴力の衝動を抑えきれなくなり、思わず相手を殴り首を絞めてしまう。そんな性的嗜好の父親を持つ息子は、自分にも同じ血が流れているのを自覚し、嫌悪し、苦悩する。倦怠、諦観、絶望……人間が吐き出すあらゆる負のエネルギーが堆積し腐臭を放つ川辺の街、映画はそこから抜け出せず悶々とする高校生の日常を通じ、生きるとは業を背負うことだと訴える。好きな女といるのに楽しくない、セックスしても愛はない、何より息苦しくなる環境で、己の本性を知ってしまった主人公の表情が切なく哀しい。
父・円とその愛人・琴子の3人で暮らす遠馬は、幼馴染の千種とのセックスに自信が持てず、産みの母・仁子に愚痴をこぼす。ある日、千種の首を絞めてしまい嫌われる。一方で琴子は妊娠したと遠馬に告げる。
女たちは、殴られ首を絞められる恐怖に死を覚悟したはず。しかし、なぜか彼女たちは円となかなか別れられず、仁子も琴子も妊娠するまでは黙って耐えている。それほどまでに円が魅力的なのか、映像からはうかがい知れない。ここで描かれるセックスには尊敬や慈しみはまったくなく、裸の肉体を重ね、交合し、射精するばかり。千種に至っては、遠馬を受け入れても痛みを感じるのみ。
あまりにも身勝手なセックスを女たちに強要し繰り返す父子に共感できる要素はないが、ただ性欲を発散させるために生きている2人の破滅的な姿には滑稽さが漂う。
お勧め度=★★(★★★★★が最高)「共喰い」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/201300909を参考にしてください。
本日はもう1本
「ジンジャーの朝」です。

迫りくる核戦争の危機、終末のイメージは多感な年ごろの少女に重く暗い影を落としていく。同時に周囲の大人たちが俗物に見え始め、自分だけがピュアな存在だと思い込む。物語は、同じ日に同じ病院で生まれた2人の女の子が双子の姉妹のように育ち、やがてそれぞれの道を歩みだすまでを描く。なんでも話し合った、秘密も共有した、いつも一緒にいた、だが禁断の一線を越えてしまった。様々な体験で視野は広がったが、思い通りに進まないことの多さに苛立ちは募るばかり。そんなヒロインが見つけた、大人への通過儀礼というにはあまりにも残酷な真実。揺れ動く彼女の感情をエル・ファニングが繊細に演じる。
ジンジャーとローザは将来の夢を無邪気に語り合う17歳。反核・反戦集会に顔を出したりしながらも日々過ごしている。ある日、ジンジャーは父・ローランドとローザが付き合っているのを知る。
いつ始まるともしれない核戦争にジンジャーは気が気ではない。一方で周りの人々は、人類滅亡の瀬戸際であるのに関心が低く、その態度がジンジャーには腹立たしい。特に、かつてアナーキストとして投獄された経験もあるローランドは"人生を楽しめ"と、個人の生活を優先させる。それどころか、家出してきたジンジャーを泊め、隣の部屋でローザとセックスする始末。
世界が核戦争で壊れる前に、家族や友人関係といった最小単位の世界が崩壊する皮肉。親友と父に裏切られたジンジャーの苦悩が切ない。
お勧め度=★★(★★★★★が最高)「ジンジャーの朝」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130911を参考にしてください。

2013年9月7日土曜日

こんな映画は見ちゃいけない!(9/7)

本日、とりあげる作品は
「アップサイド・ダウン」です。

大好きな女の子は真上から自分を見下ろし、ロープで手繰り寄せなければ上に"落ちて"いく。整然と区画されたオフィスは、床と天井が同じ構造を持ち、従業員も逆さになって働いている。重力が二重に作用する近接した双子の惑星、あらゆる生物も物質も生まれた惑星の引力の影響下にあるという設定のもとに作り上げられた上下対称の中間地帯のビジュアルは、慣れるまで少し意識が混乱するほどその世界観が精緻に再現されている。21世紀の諸問題を凝縮したような搾取と貧困、繁栄と荒廃、支配と隷従。重力によって線引きされた2つの世界はまさに上と下の関係だ。
上の星に住む少女・エデンと下の星のアダムは密会中に警察に見つかり、引き裂かれる。10年後、中間地帯に勤務するエデンを見かけたアダムはそこに就職、エデンに会いに行くが彼女は記憶を失なっていた。
アダムは"逆物質"を身に着け肉体を上の引力に順応させるが、長時間は持たない。デート中に"逆物質"が燃え始め命からがら下に逃げ帰ったりする。その上、アダムの前には引力だけでなく身分格差が立ちはだかる。このあたりの展開は禁じられた恋の物語にありがちなパターンだが、惑星の法則が同じ地平に立てないふたりの間にもどかしさを産み、浮いたり飛んだりと目まぐるしく動かす。
魔法のごとき科学でしか問題は解決できないからこそそこに夢が入り込む余地ができ、ラブストーリーをファンタジーに昇華させていた。
お勧め度=★★★(★★★★★が最高)「アップサイド・ダウン」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130629を参考にしてください。
本日はもう1本
「わたしはロランス」です。

ずっと自分を偽ってきた。心の性とは違う体の性、違和感を覚えながらも社会に同調し、家族や恋人にも隠してきたが、もはやこのままでは自己崩壊が起きる。そう判断した男は女として生きる決心をする。好奇心、嘲笑、嫌悪感、"改性"した本人は覚悟ができている。だが心構えのできていない恋人にはすべてが耐えられない。胸が切り刻まれるような痛みを感じ、1日が無事に終わってやっと安らぐという不安定な日々が彼女を蝕んでいく。物語はふたりの10年の時の流れを追い、その愛と別れ、再会を繰り返す姿を描く。輝いていた過去は戻らない、そして選択とは何かを捨てることであると映画は訴える。
国語教師のロランスは文学賞の受賞を機に"心は女"だと同棲中の恋人・フレッドに打ち明ける。一度は取り乱したフレッドも、ロランスに協力する決意を固める。しかし、現実はふたりに厳しく冷たかった。
まだ性同一性障害が精神疾患と考えられていた1990年代、オカマでもゲイでもないロランスの性的し向は、普通の人には受け入れられない。フレッドも頭では理解していても今までだまされていた後味の悪さが付きまとう。
学校をクビになり傷ついているロランス、彼と一緒にいる辛さにフレッドが感情を爆発させるシーンには、世間の目と闘う難しさ以上に、最愛の人が別世界に行ってしまった寂しさと怒りがリアルに表現されていた。
お勧め度=★★★(★★★★★が最高)「わたしはロランス」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130727を参考にしてください。
本日はもう1本
「大統領の料理人」です。

人生の転機は突然訪れ、ヒロインを嵐の中に放り込む。行先も告げられぬまま乗せられたクルマ、誰に仕えるのかも教えられぬまま連れて行かれた宮殿、そして男たちの不快そうなまなざし。まだ女性の社会進出が完全に浸透していなかった1980年代、映画はフランス大統領専属の女性コックが孤軍奮闘し、料理とはなにかを追求する姿を描く。旧弊を打ち破り、性差別に耐え、己のレシピを極めようとする彼女は求道者のよう。そこには恋も夢もなく、あるのは食べた人が満足したか否かの現実のみ。究極の美味も過剰な装飾も不要、家族のぬくもりを思い出させるような母の手料理の味が求められるのだ。
大統領の専属料理人となったオルタンス、旧態然とした男の世界に驚く。彼女は独自のメニューを毎日考案し、徐々に周囲の理解を得ていくが、自分の料理が口に合っているかわからず、苛立ちを募らせる。
直接お目通り叶わず嗜好を聞く機会がない。感想は給仕が下げた食器の残飯で推測するしかない。やっと大統領と話す時間を与えられ、贅を尽くした饗宴よりも素材の味を生かした素朴な家庭料理こそがいちばんの好みと知る。2人の会話は弾み、「食」とはフランス人が最もこだわる関心事であることをうかがわせる。
深夜の厨房でトーストのトリュフのせを振る舞ったときに大統領が漏らした弱音、一国の最高権力者に信頼されていたという自負がオルタンスに誇りと生きる勇気を与えていたに違いない。
お勧め度=★★★(★★★★★が最高)「大統領の料理人」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130724を参考にしてください。
本日はもう1本
「夏の終り」です。

一見平和なカップルに見えるが、女はかつて夫と子供を置いて年下の愛人と駆け落ちした過去を持ち、男は正妻との家庭を行き来している。本来ならば愛憎渦巻く修羅場となってもおかしくはないのだが、彼らの生活は奇妙な調和を保ち、違和感なく収まるところに収まっている。物語は、不倫関係にあるヒロインの家に、以前の愛人が現れたのをきっかけに起きる波紋を描く。もう若くはないが仕事は順調に進んでいる。その中で2人の男の板挟みになり、激情に流されそうになる女と、煮え切らない男たち。強さはもろさ、優しさは優柔不断、そして愛は幻想、映画は登場人物の感情を繊細なタッチですくい取る。
作家の慎吾と同棲中の染色家の知子の家に、元恋人・涼太が訪ねてくる。慎吾が妻の下に帰っているあいだに涼太との仲を復活させた知子は、歪んだ三角関係を続けるが、慎吾の妻からの手紙を見つける。
不倫相手である知子の存在を妻に認めさせて、涼しい顔で知子の家に出入りする慎吾。当然知子と涼太の交情も知っているが気にかけていない。しかもそんな状態が日常になっても平然としている。まさしく作家らしい慎吾のモラルの欠如はかえって微笑ましいくらい。一方の涼太は知子への思いを募らせ、もはや耐えられないところまで追い込まれている。知子は2人の間で巧みに愛とセックスを使い分ける。
3人とも傷つき、苦しんでいる。それでも知子だけが困難乗り越えるしたたかさを持っているあたり、女の業を象徴していた。
お勧め度=★★(★★★★★が最高)「夏の終り」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130905を参考にしてください。

2013年9月5日木曜日

こんな映画は見ちゃいけない!(9/5)

本日、とりあげる作品は
「サイド・エフェクト」です。

心も体も鉛の鎖で縛られ毒の霧の中にいるような気分が続き、思考とは別に手足が勝手に動き突飛な行動に走ってしまう。深刻なうつ病に苦しむヒロイン、彼女はやがて強力な副作用を伴う抗うつ薬に頼る。物語はそんな女が犯した罪のために窮地に陥った担当医が、事件の裏に隠された真実を暴いていく姿を追う。心身喪失状態で起こした殺人は罪に問えるのか。薬を処方した医師は責任を取るべきか。そして副作用を強く警告しなかった製薬会社の瑕疵はどこまで追求できるのか。クールで謎めいた空気をまとった映像は、人間だれもが他人の知らない別の顔を持つことを暗示する。
重度のうつ患者・エミリーは、出所したばかりの夫とやり直そうと努力している。ある日、彼女は自傷事故で入院、精神科医のバンクスから勧められた新薬は症状を改善させるがエミリーは夢遊病を併発する。
肉体的には健康で外見は元気そうに見えるのに、ちょっとしたきっかけで精神のバランスが崩れるエミリー。一方で英国のアクセントが鼻につくバンクスはどこか患者を見下した態度をちらつかせる。映画はまずこの2人の立場を鮮明に印象付け、のちにエミリーが夫を刺殺し原因が新薬の副作用と判断されると、か弱い患者対高慢な医師および製薬会社という構図を浮かび上がらせる。
巧妙なストーリーテリングとどんでん返し、S・ソダーバーグの演出は洗練を極め、先の展開が読めない上質のミステリーに仕上がっていた。
お勧め度=★★★★(★★★★★が最高)「サイド・エフェクト」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130713を参考にしてください。
本日はもう1本
「マン・オブ・スティール」です。

超人的な身体能力を持つ者は、普通の人間にとって驚きや憧れ以上に恐れの対象でしかない。ゆえに幼少時より父親から力の封印を躾けられた若者は、正しい使い方を探して放浪する。自分は何者なのか、なぜこんな力を持っているのか、物語はそんな主人公の魂の彷徨をみつめる。映画のプロローグ、宇宙の遥か彼方、崩壊しつつある惑星ととどまる人々の主導権争いは壮大かつ精緻なヴィジュアルに彩られ、圧倒的な情報量には目をみはるばかり。その映像には先進文明が生んだ哲学が貫かれ、強烈な引力となって観客を作品世界に引き込んでいく。
地球人に育てられたジョー・エルの息子・クラークは、養父の死後、あてのない旅に出ていた。ある日クラークは北極の氷床に埋まった飛行船を発見、そこでジョーからのメッセージを受け取る。
己の出自を知ったクラークは青いボディスーツに身を包み大空を飛ぶ。アイデンティティを取り戻した彼は初めて自由を得た喜びで全身を満たすかのよう。音速を超える飛翔のスピードが、失われた過去への決別と未来への希望を表現していた。
そして地球に現れたクリプトンの反逆者・ゾッド将軍一派。それは長年彼が探し求めていた人生の意義であり、誰はばからず良心に従って力を発揮できるチャンス。ある意味、ゾッド将軍はクラークの運命の扉を開くきっかけでもある。進むべき道を見つけたクラークだが、最初からこれほどの強敵を迎えてしまって続きが作れるのだろうか。
お勧め度=★★★(★★★★★が最高)「マン・オブ・スティール」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130903を参考にしてください。
本日はもう1本
「オン・ザ・ロード」です。

セックスとドラッグとパーティ、まだ見ぬ世界に足を踏み入れた青年はたちまち溺れ、旅に出る。自分の殻を破るため、特別な友人と貴重な体験をするため、そして何より人生の真実を見つけるために。物語は作家志望の青年が風変わりな男と出会い、ニューヨークから中西部を経て西海岸まで往復する過程でかかわった人々とのひと時を描く。地平線に向かってひたすら伸びる道路、凍てつく真冬から抜けるような青空の夏、たそがれ時の太陽からネオンきらめく深夜まで、季節と時刻によってさまざまな顔を見せる風景が米国の広さを実感させる。
1947年NY、父の死に落ち込んでいたサルは友人にディーンを紹介され、常識や社会通念に捕らわれない彼の奔放な生き方に魅了されていく。後にデンバーに移ったディーンを訪ねるためにサルもNYを後にする。
複数の女と同時に付き合い、特にトラブルを起こさず人間関係を構築しているディーンは、男友達のカーロにまで片思いされるほど性的な魅力的の持ち主だ。だが、反抗するでもなく夢を追いかけているのでもない中途半端な存在で、ただ現実と真剣に向き合うことから逃げているようにしか見えない。
当時の若者の代表としてサルは彼に影響を受けていくが、サルは傍観者に徹するだけ。旅を通じて成長するでも人情の機微を味わうでもない。この手の"純文学"は発表された当時は衝撃的だったのだろう。しかし、21世紀の現代ではやはり語りつくされた感がある。
お勧め度=★★(★★★★★が最高)「オン・ザ・ロード」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130904を参考にしてください。
本日はもう1本
「劇場版 タイムスクープハンター 安土城 最後の1日」です。

あらゆる過去にタイムワープし、歴史の知られざる一面を発掘する仕事、当然史実を変えるような干渉は許されず傍観者に徹するべきなのに、どうしてもトラブルに巻き込まれる。物語はそんな少し危なっかしい主人公を通じ、記録には残っていない一般大衆の生活をレポートしようとする。ゼロ年代に大流行したフェイクドキュメンタリーの手法を時代劇と融合させるアイデアが秀逸で、歴史の生き証人になった気分にさせてくれる。
本能寺の変直後の京に派遣された時空調査員・沢島は、元信長家中の侍・権之介に取材中、幻の茶器を持つ島井の護送に同行する羽目になり、茶器にまつわる履歴の修正作業を命じられる。
その過程で、安土城焼失の謎を解明したいヒカリという新人調査員と合流しつつ権之介のインタビューを進める沢島。そして、飢えた町人や、村が野盗に略奪され虜になった百姓など、信長亡き後無法地帯となった日本で弱き立場の彼らが嘗める辛酸を目の当たりにする。それは天下を目指す英雄伝には決して描かれることがない、サイレントマジョリティの叫び。
だが、沢島の職分では彼らの事情に立ち入れず権之介らと共に野盗に捕縛されてしまう。このあたり、当時の人に未来の科学力の使用を禁止されている彼らはほとんど活躍できず、もどかしさばかりが募っていく。
お勧め度=★★(★★★★★が最高)「劇場版 タイムスクープハンター 安土城 最後の1日」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130901を参考にしてください。
本日はもう1本
「ガッチャマン」です。

突然上空から現れたかと思うと急降下し、流麗な体さばきで敵兵士を瞬時に倒す。さらにビルの壁面を駆け上り、宙を舞い、巨大なホイール型爆弾に挑む。映画は、中野から新宿にかけて仔細に再現された町並みで繰り広げられる壮絶な市街戦のプロローグで、一気に作品世界に引き込もうとする。しかしそこで展開される安っぽいアクションの数々は、TVの子供向け特撮ヒーロー番組の水準。肝心の"選ばれし戦士"も自分たちこそが人類の最後の希望という意識に乏しく、作戦遂行中に感情に流される始末。苦悩する等身大の若者としてさせたかったのかもしれないが、それを戦闘中にまで引きずるなど愚の骨頂だ。
ウィルスXに感染した人間はギャラクターに進化し、人類から地球を奪おうと戦争を仕掛ける。地球防衛組織は、健、ジョーら5人の"石"の力を操るエージェントをギャラクターに差し向ける。
イリヤはかつてジョーの婚約者で、健とも幼馴染のナオミを殺した仇敵。健は私情より任務を優先させるが、ジョーは復讐にはやる心を抑えきれず暴走してしまう。他にも怪力自慢の竜が戦う意義を問うたりする。800万人に1人しかいない"石"の適合者としてギャラクターに立ち向かう使命のもと、子供のころから訓練されているはずなのに、このメンタルの弱さはなんなのか。全く理解できなかった。
あの美しかったガッチャマンを貶めたのは、「誰だ!誰だ!誰だ!」と思わず叫んでしまった。
お勧め度=(★★★★★が最高)「ガッチャマン」についての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/otello/20130830を参考にしてください。